朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」にはまっています。
今の現場は9時半出勤なので、ぎりぎり総合放送の時間帯の放送が見られるんです。
8時15分から見始めて、8時25分頃家を出ます。
・・・えぇ、毎日肝心の最後5分間が見られません・・・・・・
去年の下半期の「芋たこなんきん」から見ている連続テレビ小説ですが、今回のドラマは際だって脚本が素晴らしい!
今年の上半期は脚本が破綻しt
毎週ちゃんと起承転結があるし、伏線の貼り方、毎週末の山場への持っていき方もとても自然。
寧ろ毎日山場があると言っても過言じゃないです。
登場人物の個性ひとつひとつが際だっていて、全てが必然で成り立っている。
毎日たった15分なのに、良くこれだけまとめられるなぁと感動しきり。
脚本家の藤本有紀さんは凄い
どの登場人物も魅力的で大好きなんですが、私が一番感情移入してしまうのが主人公の喜代美。
落語家を目指す女の子なんですが・・・・
これまでの朝ドラのイメージだったら、主人公は様々な逆境にもめげず、持ち前の明るさと健気さで夢を叶えていく−−−−。
そんなところでしょうか?
今回の主人公は、持ち前の「後ろ向きさ」で毎回事を大きくしてしまうんです。
主人公と対局にある幼友達の同姓同名の清海。
才色兼備で気だても良く、スポーツ万能で誰からも憧れの存在。
子どもの頃から同姓同名だった為に、清海はA子、喜代美はB子なんて呼ばれて主人公はいつも比べられて影の存在。
そんな最も苦手とするA子が主人公の初恋の相手と恋に落ちてしまって、何とか二人を引き離そうとしたり。
落語家としても失敗だらけで、世話を焼いてくれる母親に向かって八つ当たりしたり、疎ましく思ったり。
色恋に迷って落語に打ち込めない自分を破門にして欲しいと師匠にお願いして挫折しかけたり。
そんな自分が情けなくて大嫌いで落ち込んでみたり。
ネットでレビューなんか見てると、この主人公の性格には嫌な思いをしてる人もいるみたいですけど、人間誰しもこんな所あると思うのです。
かくいう私にも過去に自分の気分で家族に八つ当たりしたり、なんてことありました。
自分の嫌なところがきちんと分かっていて、人にとって、自分にとって美徳と思う部分からはかけ離れている悲しい自分を何とかしたい。
そんな風に藻掻いてる主人公にはとっても親近感を覚えます。
主人公を取り巻く人たちも魅力的。
誰しも挫折することの苦しみ、悲しみを知っていて、主人公に愛情を持って背中を押してくれる存在が溢れてるのです。
明るくて健気な主人公のキャラクターで単純に物語を引っ張ろうとしたりしない。
惨めで後ろ向きだけど、「明るくて健気」が自分でも素晴らしいことだと知っているから羨ましいし、近づきたい。
そして周りの人も同じ。そんな人たちが集まって生きている世界を描こうとしてるから物語に奥行きが出ている気がします。
物語の中で主人公のおじいちゃんや師匠が口にする言葉「落語は、ほんまにおもろい。おかしな人間が一生懸命、生きとる」というのがあるんですが、このドラマのテーマずばりそのものですね。
喜んだり、妬んだり、悩んだり、悲しんだり、笑ったり。
だからこそ落語は面白い。
だからこそ人生は、面白い。
このドラマを構成するもう一つの柱が「落語」。
最初は朝ドラを見るって言う流れだけで、「落語」そのものには興味が無かったのです。
でもそれが一変したのは劇中で「崇徳院」という落語が登場してから。
この「崇徳院」、平安時代の崇徳天皇が謳った百人一首ではおなじみの「瀬をはやみ〜」から始まる和歌を題材にしたものです。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あわんとぞ思ふ
【急流を流れ岩にあたって割れていく滝川の水の流れの様に、私たちの行く先も別れ別れになってしまいますが、いつかきっとまたお目に掛かりたいと思います】
とかこんな訳だったかと。
中学生の時から百人一首が好きだった私ですが、この歌は特に心に残る歌の一つでした。
それが突然落語の中に出てきたからぐっと引きつけられてしまったんです。
考えてみれば落語が端を発するのは江戸時代、その江戸時代は現代なんかよりよっぽど和歌に親しみがあった時代です。
だからこんな風流な演目が出来たんですね〜。
この演目が江戸時代にできた古典落語かどうかは分かりませんがね・・・・(笑)
何はともあれ、俄然落語に興味の湧いてしまった私
ということで茶道から始まり、着物、着付け、和裁と何やら色々やってますが、次は落語だ!!!と勝手に息巻いております。
「ちりとてちん」に出てくる桂吉弥さんが素敵なので一度落語を聞きに行ってみたい